冷たい風が吹く、ある秋の朝。
鉛色の空が重く垂れ込め、深海のような暗い色が海面を覆っていた。
波は重々しく、まるで悲しみを飲み込むように岸辺へと打ち寄せる。
その陰鬱な水面に、凍えるような冷たさをまとった女の死体があがった。
彼女の肌は青白く、まるで嵐の後の静けさの中で、最後の安息を見つけたかのようだった。
変わり果てたシルフィアの姿を見たオーゾレスは、言葉を失ってその場に立ち尽くした。
強いめまいとともに、吐き気がする。
オーゾレスの世界は再び光を失った。
売春婦がひとり、痴情のもつれか何かで殺された――ただ、それだけのこと。
海辺で役人たちは、無表情のままシルフィアの遺体を運んでいた。
「臨時で小銭が入ったもんでな。今日はお前と遊んでやろう」
部屋に座り込むオーゾレスの後ろ姿に声をかけたのはフィネガンだった。
ずかずかと土足のまま近づいてくる。
酒と汗のにおいが部屋に充満した。
オーゾレスが泣き腫らした目でフィネガンを見る。
ニタニタと下卑た薄ら笑いを浮かべていた。
「帰ってください。私の大切な人が――」
言い終わる前に、硬い拳骨がオーゾレスの頬に叩きつけられる。
声も出せないまま、オーゾレスの華奢な身体は壁際まで吹っ飛んだ。
「うるせえ!お前らは黙って股を開いてりゃいいんだよ!」
フィネガンは激昂し、怒鳴った。
オーゾレスの顔を何度も踏みつける。
世界が赤く染まっていく。
足を上げたフィネガンの懐から何かが床に落ちた。
小さな鈴のような音。
半開きの目でオーゾレスが見たのは、錆びた灰色の鍵だった。
見覚えがある。
オーゾレスも同じものを持っている――貸金庫の鍵だ。
シルフィアが肌身離さず持っていた鍵に違いない。
「ど……どこで、それ……を……」
「だまれ!」
フィネガンがつま先をオーゾレスのみぞおちにめり込ませる。
鈍い音が漆喰の壁を震わせた。
激痛に耐え、むせ込みながらオーゾレスは悟った。
この男がシルフィアを殺したのだ、と。
フィネガンはオーゾレスの服を力づくで破り、地面に押さえつけた。
拳を振り上げる。
――やはり、この世界は間違っている。
こんな不条理が許されるわけがない。
オーゾレスは激しい憎悪をフィネガンに向け、にらみつけた。
彼女が身につけた知識は、今この場では役に立たなかった。
ただ、眼の前の男の死を念じることしかできなかった。
フィネガンは拳を振り上げたまま静止していた。
「ふ……うぐ……」
血走った目から赤い筋が流れていく。
ふいに耳から吹き出した血が床を染めていった。
オーゾレスには何が起こったのかわからなかった。
しかし、わからないままに念じ続けた。
フィネガンの首がねじ折れるさまを。
やがて――ぼきぼき、と嫌な音とともにオーゾレスの想像は現実のものとなった。
フィネガンは首を不自然な角度にねじ折れさせたまま、痙攣している。
ぬるい血だまりの中でオーゾレスはゆっくりと体を起こした。
自然と微笑みがもれた。
特別な力が自分に宿っているのを感じる。
これは、間違いなく神の祝福。
想い焦がれた神によって、自分は選ばれた。
新たな神代を待つのではなく、自分で創り出す。
そのための力だ、と――そう確信した。
立ち上がったオーゾレスが静かに手をかざすと、フィネガンの巨体が轟音とともに天井に叩きつけられた。
少しの間の後、壊れた人形のように床に落ちる。
そのまま、フィネガンは動かなくなった。
「シルフィア。私もやりたいことを見つけたわ」
返り血をぬぐおうともせず、オーゾレスはつぶやく。
窓から差し込む光は、部屋を必要以上に明るく照らし、そこにいるはずのないものの影まで浮かび上がらせているように見えた。
コメント
性暴力、絶望、力に目覚め報復。
天啓の出自、自ら支配する世界で気に入った者を愛でる思想。
やはりオーゾレスとギルゼンスは似ている。
このふたりには同族嫌悪というテーマがあったりします。
お互いそれをわかっているけど、やっぱり認められないみたいな。
オーゾレスが持つ神器をギルゼンスが狙ってみたり。
く、く、暗い!
回想シーンにはろくな男が出てこないですね。
オーゾレスの動機がやっと明らかになりました。
こんな世界はおかしい→せや!神の力で破壊したろ!
聖女の力だけでは破壊するには足りないんですかね?
うまくやれば国ぐらいは転覆できそうですがね。
章の始まりが大体暗いor凄絶!
これが聖女BLITZなんです。
なかなか穏やかにスタートできない…
聖女の力だけでできること、はリガレア帝国で試した感じです。
これでは到底、神代は作れないな~というわけで、やっぱり神獣の力が必要だと改めて決意したわけですね。