教皇庁の大広間に、重苦しい沈黙が漂っていた。大司教ザクネルの鋭い眼光が、目の前に立つ公爵ランゼルトを射抜いていた。
「ランゼルトよ」ザクネルの声が静寂を破った。
「エザリス王国東部へ向かい、我がアズトラ教を広めていただきたい」
ランゼルト公は眉をひそめた。王に次ぐ爵位の自分を、なぜ辺境へ?
しかし、ザクネルの目に浮かぶ暗い影に、彼は答えを見出していた。
――まだあの惨劇を引きずっていたのか。
エザリス王国の東部にて、ザクネルと幼なじみの少女は山賊に襲われた。
布教の旅路で起こった不幸。
若き日のザクネルと少女との誓いは、血に染まって消えたのだ。
「法と秩序がなければ人も獣に過ぎぬ」その日以来、ザクネルの心に刻まれた信念だった。
「辺境の蛮族どもに、我らが教えを」
ザクネルは続けた。
その言葉の裏に潜む野心を、ランゼルト公は見抜いていた。
自らを遠ざけ、首都バトリグでの影響力を強めようという魂胆。
しかし、ランゼルト公の胸中には、意外な決意が芽生えていた。
あえて権力争いから離れ、辺境の地で真の騎士として国を守る。それも悪くはない。
ザクネルは、ランゼルト公の沈黙を見逃さなかった。
「見返りと言ってはなんだが、大聖堂を建てるための予算も用意しよう」彼は言った。
ランゼルト公は布教の象徴となる、輝く大聖堂をイメージする。
白亜の石壁は朝日を浴びて輝き、まるで神の御手そのものが築き上げたかのような美しさを放つ――
女神アズトラの威光を象徴するかのようなたたずまいを。
「わかりました、大司教様。家族と共に東部へ参ります」
ランゼルト公はうやうやしく頭を下げた。
数週間後、ランゼルト公の一行は、エザリス王国東部の地に足を踏み入れていた。
海風にさらされ荒れた古い屋敷が、彼らを出迎える。
「ここが我々の新しい家になるのね」公爵夫人が呟いた。
その声には不安と期待が入り混じっていた。
ランゼルト公はうなずく。
「そうだ。この地に、新たな秩序と信仰をもたらすのだ」
彼の目は、遠くの地平線を見つめていた。
そこに、まだ見ぬ大聖堂の姿を思い描きながら。
古い屋敷の改築が始まり、やがて堂々たる公爵邸が姿を現した。
地元の人々が次々と雇われ、大聖堂建設の準備が着々と進んでいく。
ランゼルト公は毎晩窓辺に立ち、暗い空を見上げていた。
「ザクネル、お前の思惑通りにはいかんぞ」
彼は心の中でつぶやいた。
「この地に、真の平和と信仰を根付かせてみせる」
遠く離れた教皇庁で、ザクネルもまた夜空を見上げていた。
彼の胸に去来するのは、かつての悲しみと、果てしない野望。
そして、ランゼルト公への複雑な思いだった。
二人の野望が交錯する中、エザリス王国の運命は、新たな展開を迎えようとしていた。
コメント
ザクネルが若い・・
まだ二十代とかかな
そしてこのころから謎のアイマスクも装着してたのかw
このころはまだ二十代でした。
ザクネルは幼馴染の少女を失って以来、この謎マスクで表情を隠すようになってしまったのです。
今回【大司祭ザクネル】の事を「大司教」と呼んでいますが、ザクネルの地位はどちらですか?
司教が登場せず、大司祭が教皇に次ぐ地位とされていた事を不思議に思っていたので、【大司教】の方が立場的に相応しい気はします。
しかし公爵に対し「ランゼルトよ」と爵位を着けず呼び捨てにするザクネルは随分と偉そうですね。
本当だ、表記の揺れがありました。
こちら修正しました!
ご指摘どおり、大司教の方が正しいですね。
公爵なので貴族の中でもトップなのですが、アズトラ教徒を束ねるトップの方が影響力があり、そのぶん偉そうにしています。
ルドルザが生まれる前のお話か。辺境で布教活動をしながら大聖堂を作って子を育てて。そこに獣魔が襲来したという認識でOK?
そうです!
辺境で静かに暮らしていたのですが、ギレルガルに破壊されてしまいました。
中央から離れていたために、聖女たちが助けるのも遅くなってしまった形です。
ランゼルトは王に次ぐ爵位なのにザクネルはもっと偉いんですね。
このころはまだヴィゾアは生まれていないので先代の王はどんな人だったのだろう。やはり女王?
この頃の王様は男性なんです。
エザリス王国の王様なので一番偉い人ではあります。
ただし、ザクネルはアズトラ教の実質的なトップであり、「女神の代理人」的な存在になります。
エザリス王国の外にもアズトラ教徒はいますが、そういった人たちもザクネルや司教たちが導いている、ということになります。
なので、国内外への影響度を考えるとザクネルは一国の貴族より偉そうにできる、という理屈です。
あと単純に自分のことを偉いと勘違いしている、というのもあります笑