鐘の音が鳴り響く。獣魔の襲撃を知らせる音だ。
「ちっ いいところだったのに」
ほうばっていたパンを皿に戻しながら、聖女ダルメザが立ち上がる。
朝食は彼女にとって良い一日を始めるための、神聖な儀式なのだ。
あからさまに不満げな表情を浮かべる。
「食事にいいところなんてあるの?」
美しい金色の髪を撫でながら、呆れた様子で聖女ニーザルスが杖を手にする。
そのまま窓際へと歩くと、バイザーを外して目を細めた。
「小型獣魔の群れみたいね。10体ほどいるかしら」
薄っすらと黒い影が近づいていた。
海岸近くに建てられたこの見張り台にまっすぐ向かってきている。
「出るわよ。ドレイジィを叩き起こして」
長椅子では青い髪の聖女ドレイジィが盾を枕にして眠っている。
鐘の音にもまったく反応を示さない。
これが彼女らにとっての日常だからだ。
獣魔の攻撃をドレイジィが受け止め、ダルメザが砲撃を放ち、ニーザルスが砲弾を誘導。
固まって進軍していた獣魔たちは爆風にさらされ、吹き飛ぶ。
半数はこれでかたがついた。
しかし、砲弾で倒しきれなかった獣魔が1体、市街地に向かっていることに聖女ミズリアだけが気づいた。
その先には、赤ん坊を抱いて必死に走る女の姿。
小型と言っても人間の10倍以上の体重を持つのが獣魔だ。
殴られただけで人の身体など吹っ飛び、全身の骨が砕けるだろう。
もし、生まれたばかりの赤ん坊だったら————
最悪の事態を想定したミズリアは寒気に肩を震わせた。
エザリス王国の聖女として、必ず人々を守り抜く。
奥歯を噛みしめると、持てる力を振り絞って飛行した。
「そこまでだ!」
獣魔が親子に追いつく寸前で、黄金に輝く槍がゴツゴツとした黒い背中に突き刺さった。
低い唸り声をあげながら、獣魔は槍が飛んできた方向を睨む。
「我が名はミズリア! 貴様の相手はこのわたしだッ!」
宙に浮いたまま、大声を張り上げて獣魔の意識をミズリアに向けさせる。
振り返って様子を見ていた母親が再び避難所に向かって走り出した。
(そう、それでいい。できるだけ遠くまで逃げて)
しかし慌てた母親がつまづく。
(ちょっ、何やってるの!?)
ミズリアの意識が逃げる親子に向かっていた間に、獣魔が跳び上がる。
拳が横薙ぎに払われた。
(しまった————!)
防御しようにも槍は獣魔の背中に刺さったままだ。
鈍い音がした。
ミズリアの小さな身体はくの字に折れ、地面に叩きつけられる。
「うぐっ……ごはっ……」
とっさに念動力で獣魔の拳を押し返したが、勢いは殺しきれていない。
咳とともに鮮血が飛び散り、体から力が抜けていく。
その一撃でミズリアを倒せたと判断したのか。
獣魔はくるりと踵を返すと、再び親子を追い始めた。
「ふざ……け…るな……!」
ミズリアが絞り出す。
肋骨は数本折れている。
内蔵も痛めたようだ。
激痛が上半身全体に広がっている。
このまま地面に突っ伏していられたら、どれだけ楽だろうか。
それでもミズリアは立ち上がる。
聖女王ヴィゾアに迎えられたあの日。
命にかえてもエザリス王国の民を守ると誓ったのだ。
わずかに残った念動力を自らにまとわせ、獣魔目がけて飛行する。
背中に飛び乗ると、突き刺さった槍を両手で引き抜いた。
そのまま穂先を、驚いて振り返る獣魔の眉間に突き刺す。
いやな感触が手に伝わってきた。
不快な叫び声を上げながら、獣魔が眉間を押さえる。
赤黒い血がぼたぼたと地面を濡らした。
「うわああああ!!!」
ミズリアは叫びながら何度も槍を突き刺した。
獣魔が膝をつき完全に絶命するまで、何度も。
黒い返り血で染まった槍を両手で抱えたまま、ミズリアは意識を失った。
「無茶したわね。でも立派よ」
ニーザルスは気絶したミズリアを抱きかかえたまま、診療所に向かって飛行する。
幸い、今回出現した獣魔はすべて掃討できた。
しかし————
獣魔が現れる頻度が以前より明らかに高くなっている。
これは何かの前触れなのか。
暗鬱な空気が迫ってくるのを、ニーザルスは薄っすらと感じ取っていた。
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