オレンジ色に染まった夕焼けの街・ヴェノグに、カン、カンと鍛冶の音が響き渡る。
静まりゆく街並みに、鉄を打つリズムが規則正しく溶け込んでいく。
赤銅色の空と重なり、その音はどこか温かく、力強かった。
「こりゃまた派手にやったモンだな」
工房の主であるレアモンドは、ゼルロズが持ち込んだ大刀型ブリッツを見てため息をつく。
美しい刃紋を描いていた刀身は獣魔の血によって腐食していた。
「刃、朝露のごとし…」
「いやまだ直せるぞ。終わったみたいに言うなよ。茶ぁ入れたからよ、そこ座って待ってな」
レアモンドは手際よく道具を取り出し、大刀の表面を丁寧に拭き上げると作業机に臨んだ。
工房内に刃を研磨する音が鳴る。
「娘が世話になったみたいだな」
「別に。世話なんてしてない」
「そうか。アイツは無茶ばっかりしやがるからよ。誰に似たんだろうな」
レアモンドは死別した妻のことを思い出す。
負けん気の強さと凛とした眼差しはルジエリに受け継がれている。
「羨ましい」
「はあ?別にいいもんじゃないぞ、父娘なんて。小さいころはホントに可愛かったんだけどなぁ」
「私は――いや、なんでもない」
「?」
戦災孤児として育ったゼルロズは親の顔すら覚えていない。
灰色にくすんだ街と、孤児院での暮らし。
そんなゼルロズの救いは、寄贈された本たちだった。
詩だけが彼女の癒やしであり、拠り所でもあった。
12歳の時に、院長が自分を奴隷商に売り渡すことを知る。
隔離された部屋に軟禁され、彼女は天井を見上げるしかなかった。
優しい人だと思っていた院長が、自分を――
女である自分が売り渡された先でどんな目にあうか、ゼルロズには予想できていた。
ただし驚きはなく、悲観することもなかった。
弱いものは搾取される運命なのだ。
詩が教えてくれた通りに、世界は残酷なものだった。
冷たい殺意が体を満たしていく。
夜の帳に潜む影
凍りつく手、恐怖の檻
逃げ場のないその部屋で
少女の心、崩れていく
閉じられた瞳、届かぬ叫び
怯えた日々の果て
追い詰められた最期の瞬間
生きるための刃を選ぶ
一閃、空気が裂ける音
血に濡れた手、震える指
罪と自由が交差する夜
少女は静かに息をつく
生き延びた朝、重い風
解放と孤独の狭間で揺れ
涙に染まるその小さな掌が
真実を刻む、孤独な証
食事のために持ち込まれたナイフは、育ての親の血で染まっていた。
取り返しのつかないことをした、それは理解できている。
しかし、他に方法があったのか。
力があれば、尊厳を守れる。
誰にも従わなくてすむ。
自由を力で奪い取ったゼルロズは、血溜まりの中で天啓を受ける。
厳かでやわらかな光。
神からの選別と祝福。
それでも、心の孤独は癒やされなかった。
工房の扉が勢いよく開く音がした。
「おやっさーん」
「ただいま」
買い出しに出ていたノルディズとルジエリが袋を抱え、部屋に入る。
「はい、父さん。頼まれてた食材。…あれ?ゼルロズ、来てたんだ」
「へえ~じゃあコレもう開けちゃおうぜ。すぐ食えるモンと酒も買ってきたぜ、ほら」
「お前らなぁ~まだ酒飲める年齢じゃねえだろうが」
「いいじゃない、少しだけなら」
「そうだよおやっさん、硬いこと言うなよ」
先程までの穏やかさが嘘のように、工房が騒がしくなる。
ゼルロズは思わずバイザーの下で目を細めた。
今も昔も、変わらず彼女の手は血にまみれている。
育ての親を手にかけた呪いは消えない。
家族と過ごした時間は自分にはなく、孤独な人生はこれからも続く。
それでも、寂しいとは思わない。
聖女となって守るべきものと、ともに戦う仲間ができたから。
湯気の立つ茶をそっと口に含むと、温かさが冷え切った心にじんわりと染みわたる。
苦い記憶がひとつずつ溶け出し、胸の奥に張り詰めた糸がふわりと解けていった。