従魔の契約

雷は、まだ地を這っていた。

砕けた石柱の間を青白い火花が走り、焦げた苔の匂いが夜気に混じる。
森の奥にあった古い祭壇は半ば崩れ、刻まれていた神獣の紋様も、今は血と泥に覆われていた。

リンカージェは膝をつきながら、それでも倒れなかった。

両腕は痺れ、呼吸のたびに胸の奥が焼ける。
感応力は乱れ、念動力で浮かせていた大剣のうち二本は地に落ちていた。
残る刃も、彼女の周囲を守るというより、かろうじて宙に留まっているだけだった。

その眼前に、三大獣魔の一体――マナグロアがいた。

神獣の化身と呼ばれる巨体。
ひと振りで城門を砕く爪。
全身から発せられる電撃。
その威容は、獣というより、神が地上に落とした裁きの形に近かった。

だが、マナグロアも無傷ではなかった。

黒い外皮には深い斬撃が走り、肩口からは青白い火花が噴いている。
黄金の瞳は怒りに燃えていたが、その奥には、先ほどまでなかった感情があった。

警戒。
そして、認識。

リンカージェは理解した。
この獣魔は、ようやく自分を獲物ではなく、相手として見たのだ。

「まだ、足りない?」

声は掠れていた。
けれど笑みは消えなかった。

聖女として与えられた光。
体内に眠る獣の血。
母から継いだ痛み。
父が隠し続けた真実。

そのすべてを燃やして、リンカージェはここまで立っていた。

従魔術。

獣魔を従える三大禁呪のひとつ。
一対一で獣魔と戦い、力を示した後に契約の印を結ぶ。
書物にはそう記されている。

だが、紙に書かれた説明はあまりにも薄かった。

これは首輪ではない。
命令だけで巨獣を縛る術ではない。
己の魂を獣の前に差し出し、それでも折れないと示す行為だった。
支配ではなく、承認。
相手の牙を受け止めたうえで、なお上に立つと宣言する禁忌だった。

リンカージェは震える手を上げた。

足元の血が、円を描くように広がる。
青白い神気がそこに重なり、赤黒い脈動が内側から滲む。
聖なる光と獣の血が混ざり合い、祭壇跡の石床に見たことのない紋様を刻んでいく。

従魔の契約

マナグロアが低く唸った。
その声だけで、残った石柱が震える。

普通の聖女なら、ここで退くだろう。
禁呪に手を伸ばす前に、神へ許しを乞う。
あるいは国へ戻り、正義の名のもとに討伐隊を編成する。

だがリンカージェは、もうその正義を信じていなかった。

母である聖女ゼタリリアを捨て駒にしてまで保身に走った教皇庁。
それを知りながら、何も裁かなかった王国。
神の名を掲げながら、人を道具として使い潰す秩序。

そんなものが法を名乗るなら。
そんなものが聖であるなら。

自分は、その外側に立つ。

契約の印が光を増す。
マナグロアの巨体から溢れる電撃が、円陣の縁で弾けた。
リンカージェの髪が逆立ち、皮膚が焼ける。
それでも彼女は目を逸らさなかった。

黄金の瞳が、彼女を見下ろす。

殺意。
誇り。
怒り。
そして、受諾。

マナグロアが頭を下げた。

それは屈服ではなかった。
獣が主を選ぶ瞬間だった。

リンカージェの胸に、契約の痛みが走る。
心臓を獣の爪で掴まれたような激痛。
同時に、遠く巨大な鼓動が自分の内側へ流れ込んできた。

マナグロアの怒り。
孤独。
神獣の化身として畏れられながら、ただ災厄として狩られる存在の記憶。

リンカージェは歯を食いしばった。
従えるとは、相手の力だけを奪うことではない。
その獣が抱える痛みごと、自分の秩序の中へ迎え入れることなのだ。

禁呪とされる従魔術により、神獣の化身とされる三大獣魔の一体と契約を果たしたリンカージェ。

彼女の周囲で、落ちていた大剣が再び浮かび上がった。
青白い神気をまといながら、その縁には獣の雷光が絡んでいる。
もはやそれは、ただの聖女の力ではなかった。

聖と魔。
祈りと獣性。
神の光と、神に封じられたものの怒り。

すべてが一人の少女の名に結ばれた。

リンカージェはマナグロアの影の下で立ち上がった。

「リンカージェの名において命ずる」

母を奪った秩序。
母の献身を美談に変えた者たち。
救済の名で血を隠し、正義の名で責任を曖昧にした国。

許すことはできない。

すべてを滅ぼし、新たな秩序を創る時が来たのだ。

「エザリス王国を滅ぼせ」

マナグロアが咆哮した。

雷鳴が森を裂き、崩れた祭壇の青白い光が一斉に消える。
その暗闇の中で、リンカージェの黄金の大剣だけが静かに輝いていた。

神に選ばれた聖女は、神の秩序へ背を向けた。

そして世界はまだ、その名を聖魔と呼ぶことを知らなかった。

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隠し目の守護者
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コメント

  1. 匿名 より:

    リンカージェが従魔術を使えるようになったいきさつとか明らかになるんですかね

  2. 匿名 より:

    情報が少ない初期は禁術を文献等から学んだと考えていました。
    (ヴェイダル博士の膨大な蔵書の中に禁術関連も含まれていたと想像)
    ギルゼンスの憑魔術もゼハイン経由で得たという事?

    • akima より:

      術自体はそれほど難しくないのですが、憑魔術はアイテム、降魔術は儀式が必要になります。
      ヴェイダル博士なら禁術についても知識はありますね。
      ギルゼンスとゼハインは…どこかで交差するかな?

  3. 聖剣の目隠し乙女 より:

    契約と共にマナグロアの意識を迎え入れたリンカージェは雷光を使える様になる?
    エルゼナグと融合したギルゼンスは人の身で炎を発し操る。
    発電器官を持たないリンカージェがマナグロアとの繋がりにより、聖魔の素養が電気の扱いを身に着ける。
    「大剣の縁に獣の雷光が絡んでいる。もはやそれは、ただの聖女の力ではなかった。」

    • akima より:

      電撃使えるようになると強いですね~リンカージェ。
      パワー押しにも限界があるので、何かしらの攻め手を増やしたいところです。
      一応デンキウナギみたいに発電器官があるマナグロアさん笑