🌐 Language / 言語
🇺🇸 [English Edition]
🇯🇵 [日本語版]
とある小さな村で、ヴェイダル博士は聖女ゼタリリアとともに静かな時間を過ごしていた。
診療所の窓辺には、ゼタリリアが練習に使う小さな杯が置かれていた。
義肢の指先で掴み、持ち上げ、口元まで運ぶ。
ただそれだけの動作に、彼女は何度も失敗した。
杯を倒し、水をこぼし、金属の指で薄い陶器を割ってしまったこともある。
それでも、彼女は毎朝同じ練習を続けた。
ヴェイダルは少し離れた机で記録を取りながら、その横顔を見ていた。
かつて黄金の宝剣を操り、原初の獣魔を討った少女。
いまは一杯の水を飲むために、呼吸を整え、義肢の関節ひとつひとつへ意識を通している。
その姿を弱さだとは思わなかった。
むしろ、戦場で宝剣を振るった時よりも、ずっと強いものを見ている気がした。
村の暮らしは穏やかだった。
朝には漁師が港へ向かい、昼には子どもたちが診療所の前を走り抜ける。
夕暮れになると、海から薄い霧が上がり、石畳を青白く濡らした。
ゼタリリアはまだ長く歩くことはできない。
それでも、義肢の操作にも慣れ、日常にも少しずつ支障をきたさなくなっていた。
最初は遠巻きに見ていた村人たちも、やがて彼女へ声をかけるようになった。
原初の獣魔を倒した聖女としてではなく、診療所で療養しているひとりの少女として。
それが、ヴェイダルには救いだった。
エザリス王国から届く返書は少なかった。
彼はゼタリリアの回復状況を何度も書き送っていた。
命は助かったこと。
四肢は戻らないこと。
義肢による歩行訓練を始めたこと。
長期の療養が必要であること。
返ってきた言葉は、いつも短かった。
祈っている。
王国は彼女の功績を忘れない。
しかるべき時に今後の処遇を検討する。
労りの文面はあった。
だが、そこに体温はなかった。
そんなある日、エザリス王国の使いを名乗る一団が村を訪れる。

彼らは白い外套をまとい、胸にはアズトラ教の紋章を留めていた。
護衛の兵は磨かれた剣を下げ、使者のひとりは聖句を刻んだ杖を持っている。
村の細い道には似つかわしくない、石造りの大聖堂からそのまま切り出してきたような一団だった。
診療所の前で馬車が止まった時、ゼタリリアは奥の部屋にいた。
義肢の調整を終えたばかりで、疲れて眠っている。
ヴェイダルは扉の前に立った。
「ゼタリリアにご用ですか?」
「いいえ」
使者は、迷いなく答えた。
その一言で、ヴェイダルの胸の奥に冷たいものが落ちた。
彼らの要望は、宝剣を王国に返すことだった。
「あなたはあの戦いの場に居合わせたのでしょう。では宝剣の行方も知っているはず。あれは我が王国の宝なのです」
声は丁寧だった。
しかし、その丁寧さは刃物の鞘に似ていた。
中にある硬さを隠しているだけで、柔らかさとは違う。
「彼女の容体は――」
ヴェイダルが言うと、使者はわずかに眉を動かした。
「報告は受けております。実に痛ましいことです。ですが、今は王国の宝である宝剣の所在確認が急務です」
――実に痛ましい。
その言葉は、あまりにも軽かった。
まず気遣うべきは彼女の安否ではないのか。
四肢を失った少女が、いまどうやって水を飲んでいるか。
夜ごと、存在しない指の痛みに目を覚ましていること。
彼らは関心を持っていなかった。
「宝剣は、神より王国へ託されたものです」
別の使者が言った。
「それを一個人の判断で秘匿することは、信仰上も政治上も看過できません」
一個人か…。
ヴェイダルはその言葉を胸の中で繰り返した。
原初の獣魔の前へ送り出した時、彼女は神に選ばれた聖女だった。
宝剣を取り戻す段になると、彼女は一個人になる。
都合のいい言葉だと思った。
ヴェイダルは拳を握りしめた。
彼は王国に対して、ゼタリリアの回復状況を記した信書を送っている。
それなのに労いの一言もない。
彼女のことを捨て駒としか考えていないのか。
自分たちの代わりに少女を戦わせたことに対して、罪の意識すら持っていない様子だ。
「ゼタリリアは、まだ長く人と話せる状態ではありません」
「では、貴殿からお答えいただきたい」
「彼女は命を落としかけたんです」
ヴェイダルの声は低かった。
「王国のために。教皇庁の命に従って。あなた方が誰ひとり立てなかった場所へ、彼女はひとりで向かった」
使者の表情が硬くなる。
「言葉にはお気をつけください。これは神意に基づく――」
「神意?」
ヴェイダルは短く笑った。
礼を失した笑いだと、自分でも分かっていた。
それでも止められなかった。
「神意という言葉で、少女の身体をどこまで削れば気が済むのですか」
扉の奥で、小さな物音がした。
ゼタリリアが目を覚ましたのかもしれない。
ヴェイダルは振り返らなかった。
ここで彼女を表に出してはならない。
彼らは彼女の傷を見るだろう。
だが、理解はしない。
彼らが見るのは、聖女の損耗であり、王国戦力の低下であり、宝剣回収の障害でしかない。
そう思った瞬間、ヴェイダルの中で何かが静かに決まった。
「お引取り願えますか。貴方たちに話すことはありません」
「貴殿は、ご自分の立場を理解しておられない」
使者は声を落とした。
「リガレア領の医師である貴殿が、エザリス王国の神器に関わる情報を隠している。これは単なる療養の問題ではありません」
「彼女の身体より、宝剣が大事だと?」
「宝剣は国を守るものです」
「彼女はその国を守った」
沈黙が落ちた。
白い外套の裾が、海風に揺れる。
遠くで波が砕ける音がした。
使者は答えなかった。
答えないことが、答えだった。
「……大変なことになりますぞ、ヴェイダル殿。これは国家間の問題に発展するだろう」
使者は捨て台詞を吐く。
ヴェイダルは扉の前を動かなかった。
馬車が村を離れていく音が遠ざかるまで、彼はそこに立っていた。
やがて、背後から義肢の関節が小さく鳴った。
「宝剣を、返したほうがよかったのでしょうか」
ヴェイダルは振り返った。
寝台の上で、ゼタリリアが上体を起こしている。
顔色は悪い。
それでも彼女の目は、戦場で見せたものと同じように澄んでいた。
「それは――君が決めることだ」
「わたしが?」
「少なくとも、彼らが決めることじゃない」
ゼタリリアはしばらく黙っていた。
その沈黙の中に、王国への信頼が少しずつ剥がれ落ちていく音を、ヴェイダルは聞いた気がした。
神の名を掲げる者たちが、救われた命ではなく失われた宝だけを見た日。
その小さな断絶は、やがて大きな裁きの種となる。
しかし、彼らが再びエザリス王国の土を踏むことは無かった。
帰路で大型獣魔の襲撃に遭い、船とともに海の藻屑となったのだ。
その報せが届いた時、ヴェイダルは長い間何も言わなかった。
罰とも、救いとも思わなかった。
ただ、海は人の正義も神の名も区別しないのだと思った。
ゼタリリアは窓の外を見ていた。
義肢の指が、膝の上で静かに握られている。
彼女は祈らなかった。
その沈黙が、ヴェイダルには何より痛ましかった。
↓NEXT

コメント
この大型獣魔はもしかしてグエイジスくん・・・??
どうでしょう、大型獣魔も種類がありますので…
グエイジスくんがネタ枠になっているような。
海路で来たんでしょうか。獣魔がひしめいている世界で船に乗るのは勇気がいりますねー
そうです!
大きな船で来たんですが海の藻屑となりました…
大型獣魔さん良い仕事しましたね。
第二の巨大獣魔現る!俄かに信じがたい急報を受け、首都バトリグに激震が奔った。
教皇庁の使いを名乗る一団が聖女ゼタリリアに詰め寄る。
『聖女様!どうか我ら聖職者を!! …ゴホン。 どうか罪無き善良な民を、無辜なる全ての人々をお救い下さい』
ヴェイダル「手足を失い瀕死の重傷から立ち直ったばかりのゼタリリアは、とても戦える状態ではありません。
彼女は、もう十二分以上にその役目を果たし終えました。どうかお引き取りを」
使者『神に身を捧げ奉仕する事こそ、全ての信徒の義務であり喜び。
聖女は栄誉ある役目を授けられた事に感謝するべき立場。
教皇庁より下された神の言葉に従うのは、当然ではありませんかな?』
自らの発言を神の権威と言わんばかりの使者達に、言い知れない怒りと吐き気を覚える。
その後、ゼタリリアの身を案じたヴェイダルは彼女と共に姿を消した。
教皇庁の人間は自分たちのことしか考えてないんですよね。
ゼタリリアのことよりアズトラの宝剣のことばかりで。
大型獣魔はたまたま居合わせたのか、誰かがけしかけたのか…
四肢を失いながらも獣魔を倒した原初聖女の殉教性は、信者を扇動する上で都合の良いプロパガンダに使われそうなものだが、教皇庁の振る舞いは政治性を無視した焦りと短絡さが目立つ。
かと言って都合の良い広告塔に祭り上げられても、人間性と配慮を欠いた扱いでは不幸なまま。
次の聖女が見出される前に教皇庁は宝剣をどう運用するつもりだったのか。
第二の聖女はエザリスには現れない。
早くも大型獣魔が海路に現れ猛威を振るい、聖女は過少、ブリッツが登場する以前のこの時期が最も厳しかったのでは。
そうですね、頼みの綱の聖女も行方不明に…
無事かと思いきや戦える状態ではない、と聞いて早々に切り捨てた教皇庁。
魔導兵器に搭載するなど、宝剣は他の使い方をするつもりだったのかもしれません。
小型獣魔ぐらいなら魔導兵器で追い返せたんですが、大型が来ると総戦力でも倒せないし、人々は避難するしかなかったですね。