季節がいくつか巡った。
リンカージェは少しずつ力の使い方を覚えていた。
小さな石を動かす。
遠くの気配を感じる。
森でゼタリリアと練習をする。
母と過ごす時間はリンカージェにとって特別なものだった。
けれど、夜は少し違った。
静かな夜ほど、世界を近くに感じた。
風の音と遠くの波。
誰かの寝息。
隣の部屋で紙をめくる父の気配。
そして時々、森の奥で自分を見ている何か。
目を閉じても消えず、耳を塞いでも遠ざからない。
その夜だった。
リンカージェは、急に目を覚ました。
真夜中。
月は雲に隠れている。
部屋は暗い――それなのによく見えた。
壁際の水差し。
机の木目。
窓の外で揺れる枝。
誰もいないはずの森。
その奥に、何かがいる。
呼吸が浅くなる。
怖い。
静かなのに、静かじゃない。
リンカージェは耳を塞ぐ。
胸の奥が熱かった。
熱い。
何かが、身体の奥で動いている。
その時――机の上のペンが浮いた。
ひとつ。
またひとつ。
椅子がきしみ、水差しの水が震えた。
リンカージェは息をのむ。
この力を止めたい。
そう思っているのに、止まらない。
窓が揺れ、机の工具が鳴る。
壁に掛けられていた短剣が、ゆっくりと鞘から抜けた。
「やめて……!」
声が震える。
その瞬間。
胸の奥で、何かが囁いた。
――壊せ。
息が止まる。
知らない声だった。
それなのに、ずっと前から知っている気もした。
リンカージェは床へ膝をつく。
こんなに怖いのに。
身体のどこかが、その力を心地よいと思っていた。
静かに扉が開く。
ヴェイダルだった。
白い外套を羽織り、灯りを持って立っている。
部屋を見た瞬間、表情が変わった。
浮いた工具、震える水。
そして、輝く短剣。

リンカージェの顔から血の気が引く。
「来ないで」
声が震える。
「近づいたら……」
自分でも分からない。
何をするか。
ヴェイダルは止まった。
逃げない。
ただ、ゆっくりとその場へ膝をついた。
「大丈夫だ」
静かな声だった。
短剣はまだ震えている。
「止めようとしなくていい」
「でも……」
「そのままでいい」
ヴェイダルが言う。
その声は、研究者のものではない。
父の声だった。
リンカージェの目から涙が落ちる。
「わたし、おかしいの」
浮いた工具が震える。
「力を抑えられない――」
息が詰まる。
そして、小さく問う。
「……わたし、本当に聖女なの?」
沈黙。
ヴェイダルは、すぐには答えなかった。
答えられないのかもしれなかった。
やがて、絞り出すように言う。
「楽にして。無理に抑えなくていいんだ」
それだけだった。
短剣が、床へ落ちる。
水が弾け、静寂が戻った。
だが、身体の奥の熱はまだ消えていない。
リンカージェは震える声で聞いた。
「わたし……いつか誰かを殺してしまう」
ヴェイダルは目を伏せた。
「殺させない。そのための方法を探すよ」
慰めではなかった。
約束とも少し違う。
父が諦めていないことだけは分かった。
ヴェイダルは悟った。
娘を守るためにも――すべてを話す時が来たのだ、と。
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コメント
獣魔の細胞で体を治したママから生まれたから受け継いだってこと?
そうですね。
獣魔の因子が娘のリンカージェにも受け継がれた形です。
獣魔細胞を用いた人体実験が秘かに行われている様ですが、獣魔細胞が適合した人間から輸血すると比較的少ない拒絶反応で獣魔因子を移植できるかもしれません。
血液型の概念が発見される1900年まで、「輸血は時に回復し、何故か時々死ぬ」ギャンブル性が高いものでした。
おお、なるほど。
ゼタリリアよりもリンカージェの方が後遺症が少なかったりします。
血液型がわからない時代の輸血、恐ろしいですね…