刃によって大理石がバターのように削り取られていく。
鋭利な刃を備えた2機のブリッツは、まるでそれぞれが意思を持つかのように滑らかに動いていた。
聖女たちが居住する営舎の中に設けられた、海が見えるアトリエ。
中央には2メートルを超える大理石が据えられ、向かい合うように木製の椅子が設置されている。
肘掛けに頬杖をつき、白い脚を組んだままバイザー越しに刃の動きを追う。
聖女アムネズにとって彫刻は自己表現の手段であり、休暇時に念動力を鍛えるための訓練でもあった。
不意に、刃の動きが止まった。
「お邪魔だったかな」
落ち着いた男の声がした。
後ろになでつけた銀色の長髪。
控えめに光を返す、上質なモノトーンの祭服。
アトリエの扉に長身の男がもたれかかっている。
「いや、構わない。入ってくれ」
アムネズは振り返らずに言う。
刃が再び動き出した。
壁沿いに置かれていた椅子がひとりでに浮かび、音も立てずに彫刻のそばに置かれた。
「お休みのところをすまない。少し話がしたくてね」
男は椅子に腰を下ろすと穏やかに微笑んだ。
ヴァルネイ共和国の国教、イオクス教を束ねる法王ディメウス。
三国にとって重要な防衛圏を定め、海上要塞の建設を呼びかけた傑物である。
「聖女皇様がいろいろと動かれているようだ」
目を細めながらディメウスはつぶやいた。
その視線は作りかけの彫刻作品に注がれている。
どうやら人物をかたどった彫像のようだ。
アムネズが操る刃先が布のひだを見事に削り出していく。
「数々の獣魔を退けた実績は申し分ない。
誰もが認めるところだろう。
だが、僕は聖女皇様の掲げる目標には疑問を感じている。
そして、これは直感だが————」
ディメウスは腕組みをしてアムネズを見た。
普段は見せない、鋭い目だった。
「貴方も同じ考えではないかな」
低く、力のこもった声がアトリエに響いた。
規則正しく石を刻む音の中、両者は沈黙する。
少しの間を置いて、アムネズが小さくため息をついた。
「聖女皇様の御心は私にもわからない。
あなたの言う”動き”にも何か深遠な意味があるのだろう」
アムネズはヴァルネイ共和国の首都ウクトで、貴族の娘として育った。
父親は厳しく、女の身であっても容赦なく武芸を叩き込んだ。
特に剣の扱いに対するこだわりが強く、アムネズはわずか5歳にして真剣を使った稽古を始めた。
そんな彼女が求めるものは、天啓を受けたからといって変わることはなかった。
ただ、技を究めること。
法力を駆使してブリッツを自由自在に操り、成すべきことに全力を注ぐ。
「もし仮に————
仮に、聖女皇様がご乱心召されたなら。
止められるのは貴方しかいないと考えている」
ディメウスが黒いレンズの眼鏡越しに真っ直ぐな視線を向ける。
まるで、バイザーで隠れたアムネズの目が見えているかのように。
「買いかぶりだ。私にそんな力はない」
かつてヴァルネイ共和国を襲った大型獣魔の討伐において、アムネズはギルゼンスの元で迎撃作戦に参加している。
当時、沿岸に迫った獣魔は民衆を恐怖におとしいれ、国外に逃げる者が続出するほどだった。
大きな戦果をあげたアムネズは、当時英雄視されていたギルゼンスに次いで民衆の支持を集めることになる。
だが、彼女は地位や名声にはまるで興味を示さなかった。
「もちろん強制はしない。
いや、できないと言った方がよいか。
あくまで僕からの個人的なお願いだ」
ディメウスは椅子から立ち上がり、彫像となった石のかたまりを見上げた。
「覚えておこう」
アムネズが短く応える。
彫像は完成していた。
石の中から慧神イオクスの眷属であり、凶悪な獣魔を封じたとされる御使いの姿が浮かび上がっていた。
「まさに傑作だ。
厳かでありながらしなやかさもあり、なにより美しい。
今の僕には、この御使いの姿が貴方と重なって見える」
憂愁を秘めた夕日の光が差す。
彫像は残照を浴びて朱に染まっていた。
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コメント
実力ある誠実な人物が力を携えるのは良い事ですが、ギルゼンスが間諜を至る所に放ってこの遣り取りを聴かれていたら大変な事態になりますね。
壁に耳あり、独裁者の国では善良で志ある有識者程、政治犯として投獄されてしまいます。
いたるところに罠を用意してそうですよね笑
ディメウスはその辺上手くやる気がします。
やっと登場したと思ったらアムネズの絵なし^^;
アムさんこれからたくさん出番ありますので!
お楽しみに!