静寂の食卓

翌朝。

食卓は静かだった。

窓の外では波の音が聞こえる。

いつもと同じ朝だった。

けれど、リンカージェは違った。

昨夜のことが頭から離れない。

浮き上がる道具。

勝手に抜けた短剣。

胸の奥で響いた声。

そして、自分でも知らない何か。

ヴェイダルは珍しく記録を取っていなかった。

ゼタリリアも黙っている。

三人とも食事に手を付けていたが、誰も味など分かっていなかった。

やがて、リンカージェが口を開く。

「昨日のあれは……何だったの?」

沈黙。

波の音だけが聞こえる。

「知っていたんでしょう?」

ヴェイダルは少し目を伏せた。

「知っていた、というより」

言葉を選ぶ。

「可能性を考えていたんだ」

リンカージェは待った。

答えが欲しかった。

ヴェイダルは小さく息を吐く。

「君の身体には……獣魔の因子が入っている」

初めて聞く言葉だった。

「獣魔……」

リンカージェはその名を繰り返した。

どこかで聞いたことがある。

思い出せない。

向かい側のゼタリリアが静かに言った。

「わたしが戦った怪物です」

リンカージェの視線が母へ向く。

ゼタリリアは続けた。

「昔、とても大きな怪物が現れたの。それが獣魔」

穏やかな声だった。

リンカージェは母の義肢を見る。

白い器具。

今では当たり前の光景。

幼い頃からずっと見てきた。

だが、その理由を本当には知らなかった。

「怪物は倒した……だけど、わたしも力を失った」

その言葉だけで十分だった。

リンカージェは何も言えない。

腕と脚。

夜中に痛みで目を覚ます母。

その全部がつながった。

ヴェイダルが続ける。

「普通なら助からなかった。だから私は、獣魔の細胞を使ったんだ」

リンカージェは顔を上げる。

「怪物の?」

「そうだ」

「どうしてそんなこと……!」

言葉が続かない。

ヴェイダルはうなずいた。

「獣魔の持つ再生能力に賭けた。ただ、正しい方法ではなかったと思う」

リンカージェは黙った。

食卓の上の湯気だけが揺れている。

やがて、ぽつりと呟く。

「どうして」

誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。

「どうして、そんなことになったの」

ゼタリリアは答えなかった。

代わりにヴェイダルが言う。

「彼女は国のために戦ったんだよ」

リンカージェは顔を上げる。

「それで、王国は何も言ってこなかったの?」

声が少し強くなった。

ヴェイダルの表情がくもる。

「宝剣とともに戻って戦え、と。宝剣を返さなければ、相応の手段を取る……そんな話もあった」

リンカージェが青ざめる。

「そんな……」

今度は母を見る。

納得できなかった。

もし自分だったら、王国を許せるだろうか。

『聖女』と祭りたて、少女をひとりで戦地に送った。

そんな王国に、命を賭けて守る価値などあったのか。

しかも、『相応の手段を取る』だなんて。

この小さな村に、兵を寄越すというのか。

リンカージェの目の奥に、暗い何かが宿る。

噛み締めた奥歯が小さく鳴った。

これ以上、母を傷つけるつもりなら――

胸の奥で芽生えたどす黒い感情。

それに呼応するように、心臓が冷たく脈打った。

NEXT↓

禁忌の記録
数日が過ぎた。 家の中は、変わらず静かだった。 ヴェイダルは研究室にこもる時間が増えた。 リンカージェも、普段通りを装って...