灯火と波音

「神がお選びになったのです」

男はそう言ってゼタリリアの手を包んだ。

王国を導く立場の男。

穏やかな笑み。

優しい声。

「君だけが、この国を――いや、世界を救える」

ゼタリリアとザクネル

その言葉に嘘はなかったのだと思う。

だが彼の瞳の奥にあった感情を、ゼタリリアは忘れていない。

希望ではない。

安堵だった。

――自分では戦わずに済むという安堵。

 

ゼタリリアは目を開けた。

暗い天井と、波の音。

診療所だった。

――ザクネル様。

王城の広間で、自分を迎えた優しい笑み。

あれは嘘だったのか。

国を背負って戦った自分の判断は、間違っていたのか。

「痛ッ……!」

ベッドに横たわりながら、顔をしかめる。

夜になると、痛みが来た。

昼間は動く。

歩いてみる。

義肢を動かす。

杯を持つ。

少しずつ、ほんの少しずつ、できることが増えていく。

夜は違った。

失った指が痛む。

存在しない足先がうずく。

曲がらない膝がきしむ。

ないはずの場所が、何度も痛んだ。

窓の外では、波の音が続いている。

海風が薄いカーテンを揺らした。

義肢を装着した身体にも少しは慣れた。

それでも、ひどく不自由だった。

水差しひとつ、自分では届かない。

寝返りも難しい。

戦っていた頃の身体が、まるで夢みたいだった。

扉の向こうに灯りが漏れていた。

ヴェイダルは起きている。

まだ仕事をしているのだろう。

ゼタリリアは少し迷った。

眠れない――

ただ、それだけを言うのも妙な気がした。

それでも、小さく扉を叩く。

返事はすぐだった。

「どうしました」

部屋に入る。

机の上には紙が散らばっていた。

金属部品と工具。

途中まで組まれた義肢。

ヴェイダルは眠そうでもなかった。

「……眠れなくて」

ゼタリリアは正直に言った。

少しの沈黙。

ヴェイダルは椅子を引いた。

「座りますか」

ゼタリリアは小さくうなずく。

まだぎこちなく動く義肢に、ヴェイダルが静かに手を添えた。

乱暴ではない。

けれど、過剰に気遣うわけでもない。

その距離感が、妙に心地よかった。

しばらく、波の音だけが続いた。

やがて、ゼタリリアがぽつりと言った。

「もう、戦えないかもしれません」

初めてだった。

そんな言葉を口にしたのは。

ヴェイダルはすぐには答えなかった。

紙の上へ視線を落とし、少しだけ考える。

「そうですね」

静かな返事だった。

慰めではなく、嘘でもない。

ゼタリリアは少し目を伏せる。

けれど、次の言葉は、思っていたものと違った。

「ですが」

ヴェイダルは言った。

「生きていれば、方法はあります」

ゼタリリアは顔を上げる。

「戦う方法も」

机の上の義肢へ目を向ける。

「生きる方法も」

海風が部屋を通り抜けた。

ヴェイダルは続ける。

「あなたは、まだ終わっていません」

静かな声だった。

熱もなく、強い言葉でもない。

それなのに、不思議と嘘には聞こえなかった。

ゼタリリアは長い間、黙っていた。

そして、ほんの少しだけ。

口元が緩む。

「変わった人ですね」

ヴェイダルは少し考える。

「よく言われます」

その返事が、少しだけ可笑しかった。

ゼタリリアは、小さく笑った。

戦いのあと、初めてだった。

心から笑えたのは。

夜はまだ長かった。

ヴェイダルは作業を続ける。

ゼタリリアは、その横で波の音を聞いていた。

不思議と、少しだけ眠れそうな気がした。

NEXT↓

海風の約束
海風の匂いが、少しだけ変わっていた。 季節が移り始めている。